「Candy boy」

つまらん映画の感想とか書いとっても誰も読んでくれらんから、“百合アニメ”の感想でも書くことにした。振れ幅デカ過ぎやろ、とも思ったけど深く考えないようにしよう。自分の頭で考えないことが人生を楽しむコツなのだ。「いつやるの?来世でしょ」これで萌え絵に釣られて読者が寄ってくるに違いないぃぃ!

“百合”といっても最近は、学園モノにお約束のごとく百合要素が含まれるというのがトレンドだ。つまり大体の場合本筋とは全く関係ない。そこだけテーマにしても面白くないからね、でも添え物つまりネタとしての百合要素は個人的に好きになれない。キャラ作りとしては分かりやすい記号になっているけれど、制作側がネタにしちゃってる時点で視聴者は全然笑えないし、本気で扱うとすべる!という意識が見えてしまっている。「これ冗談だよ~ギャグだからね~」という雰囲気で出されるジョークにどうやって面白さを感じることが出来るだろうか。エロをやるなら本気でやれよ。

Candy boy」は割と本筋に“百合”を置いている。ただ対象になっているのは姉妹だ。この設定はあまり見ない気がした。“百合”は性別がそのまま障害として機能することになるのでこれをテーマに置いたときの最大の見所は、「友情と愛情の間で揺れ動く主人公らの青春スペクタクル」しかない。あるいはそこをどのように変化球で外すかだけだ。つまり、そもそも友人という距離感がシナリオ上描かれていない限り、全くwktkする展開にならん。ならんものはならん。だから物語として姉妹という関係性を設定にもってくると、どんな展開があるのだろうかと考えさせられた。

スタートから二重苦となっている訳だが、一般論として、姉妹というものがどのくらい心理的に近しい関係なのか、ということがはっきりとは分からない。おそらく性差以上に、テーマを引き立たせる障害になり得ることは想像出来るかもしれない。ちょっとした印象でしかないけれど、同性愛はフィクションでは多くの場合、無駄に神聖なイメージとして描かれることが多いような気がした。そこもっとどろどろするやろ、という演出はほとんどない。それはつまり周囲との軋轢やトラブル以上に、もっとパーソナルな性質に対する内面的な葛藤がジャンルに合っているからかもしれない。

ここまでテーマの要所を勝手に書いてきた。しかし実はこの作品においてそんな青春の葛藤は一切描写されていない。ただ、ゆる~く美麗な映像が流れるだけの軟弱アニメである。いや、びっくり(笑)ああ、本編の感想ほとんどないわ。