映画「Les Misérables」

「Les Misérables」鑑賞

 小学生のときからこの作品は食わず嫌いだったんですよ。テレビから流れるコゼットの「Castle on a Cloud」とか悲壮感が強過ぎて地味にトラウマものでしたよ。ロゴの後ろのコゼットのイラスト、「ああ無情」とかいうセンスの無い邦訳もちょっと無理で、母親にミュージカルに連れて行かれそうになったけど、そういう辛気臭い感じが嫌で拒否して、それ以来この作品には全然触れてこなかったんですよね。

 マリウスら若者は未来を作ろうと戦っていますが、ジャン・バルジャンは最後まで自分の過去から自由になれない宿命をもっています。「モンテ・クリスト伯」でもそうですけど、主人公はなぜか脱獄して一時は金持ちになるんですよね。おそらく生まれ変わったという一番分かりやすい指標なんでしょう。そのなかで恨みや天命などを得て、新たな生き方を模索していく人間模様が、この作品の大きな魅力でしょう。

 ミュージカル映画ということで全台詞の95パーセント以上は役者による歌唱になっています。役者の生歌はある種舞台上でのみ成立する様式であって、背景まで備わった映像の中では不自然さを感じてしまうというのは、ボクも見る前は不安だったんですが、特にそういった心配は必要ありませんでした。ある批評では、異常に細部まで表現された背景美術によって世界観を際立たせて、不自然さを演出しているという、これをハイパーリアリティと呼んでいましたね。

 けれどボクは、この音楽劇の映像化を成立させているのは、やっぱりダイナミックな人物へのクロースアップだと感じました。とにかくしつこいくらい役者の表情をズームしていくんですね。それでいてフーパー監督は、役者の顔が切れるくらいにスクリーンの端において、感情の高ぶりを表しているようです。こういったさまざまな感情の表現によって、背景から人物を浮き上がらせて、不自然さを克服しているように思います。映像におけるスポットライトのようなものでしょうか。

 ところでこの映画、製作はイギリスですが、フランス人はどう見るんでしょうね。ボクは実際のところ、パリを舞台といいつつ登場人物が英語でしゃべってるのは違和感を感じました。まあその違和感が舞台装置としてミュージカル部分を成立させているのかもしれないですね。時代設定となる19世紀前半のパリは、まだナポレオン3世の都市改造以前だから、現在の街並みとは大きく様子が異なっていて、狭くて汚く暗いパリです。バリケードを乗り越えるシーン、バルジャンが下水を進むシーンは、鬱屈とした時代考証をすっ飛ばして、圧政からの解放を表していますし、ラストの「民衆の歌 リプライ」をより感動的なものにしています。

 あと、コゼットが美人で2倍おいしい作品です。

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